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    刀剣乱舞、三条派のレイヤーさんで、個人撮影及び2~3名で撮影を希望される方を募集しております。
    撮影場所は京都市内限定。ブログ及びTwitterで写真を公開しても良い方に限りまが、ご連絡お待ちしております。
    宜しくお願い致します。


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翼ある者へ
2015 / 05 / 06 ( Wed )
今日は立夏だったのですねぇ。
思いっきり翼を広げて、果てしない大へ羽ばたいて行きたいものです。

Open The Wing5
随分昔に買ったロイヤリティフリー素材をアレンジしてみました。
最近お気に入りの曲、Gipsy Kings "Volare"のイメージ。


ビールのCMに流れるせいか、夏のイメージとして私の中で定着しています。

NEC_1136sn4.png
Nel blu dipinto di blu 青に塗られた青の中で

日本語訳も様々で、何を選ぶかは自分次第。



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15 : 21 : 56 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
川は流れてどこどこ行くの
2015 / 05 / 06 ( Wed )
連休最終日。好天。
結局、予定してた事は殆ど手付かず。
忙しい合間に、バタバタとこなしていかなければならない羽目になりそうです。
が、先人たちはこんな事を仰ってます。
『忙しい時ほど、物事は捗る』と。


この写真を撮ろうとした時、ふいに頭に浮かんで来たのが、本日のタイトル。
誰の詩なのか、どういう意味で歌われているのか、全く知らない状態でしたが、何となくこのフレーズを覚えていたのですね。

DSC01049sn2.png
そして本日、その意味が解り、感慨に耽っております。
あぁ、こんな風に達観できたなら、現状を打破できるかも知れないと。

-花-
川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か 花をさかそうよ
涙ながれて どこどこ行くの
愛もながれて どこどこ行くの
そんなながれを このうちに
花として 花として むかえてあげたい
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花は花として わらいもできる
人は人として 涙もながす
それが自然のうたなのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも
泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも 花をつかもうよ
喜納昌吉作詞・作曲


随分長い間、涙を流してない事に気付きました。
心を浄化させる為に、涙として外へ出す事も必要ですね。


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12 : 03 : 39 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
キーワード
2015 / 05 / 05 ( Tue )
【お母さんが嫌い】というキーワードをから提示され、連休を利用して検索を開始しましたら、まぁ出るわ出るわ!
思い当たる節。


写真は菜の花を撮りに行った折のスナップですが、この写真の中に写っている集合住宅の中の一戸一戸にも、様々な家庭の事情が一杯詰まっているのだろうなぁ・・・と感慨深いです。

それはさて置き。

母親が嫌いな子供。
子どもが嫌いな母親。
知恵袋に寄せられた両方の質問と、質問に対する第三者のご意見を拝読し、反省しきりです。

今回、私が得た収穫を端的に言い表すならば、私の的外れな過保護&過干渉が原因だったと思われます。
過保護ではないと自分では思っていた事が、実は過保護&過干渉だったのだなぁと思い知らされました。

過保護ではないと思い込んでいた所に盲点があったように思います。

人は自分の尺度でしか他人を測れない。

頭では解っているつもりなのに、私とが違う人格なのだと言う事に、気が付けなかったと言う事です。

つまり、私がに期待していたモノとは、私の不安を払拭できる素材なのです。

私と同じ人生を歩んで欲しくない。
私より幸せな人生を歩んで欲しい。
その為には、こうしなくてはならない。
こうでなければならない。etc

これらの言葉の中には、主語である私しかいません。
の存在が無いのです。
これでは、私の自己満足の世界を、押し付けられてると思われても仕方がありません。
のすべてを支配しようとしてるとしか受け取れません。

こういう教育のされかたは嫌だと、私自身が嫌という程味わって来た筈なのに、無意識の内に行われていたという事に気付いた時、愕然としました。
恐るべし、村社会のDNA。

原因が解った所で、これらが全て解決する問題でもないと思います。

と言うのも、村社会の構造は現役で機能している訳で、会社に行けば社っ長がこの考えを元に日々心配して下さる訳で、学校も然り。

そうすると又私自身の中で、このままで良いのだろうか?という不安が押し寄せて来て、不安神経症が発症してしまうからです。

○○するべきという固定観念に縛られ過ぎて、窒息しそうな息苦しさを感じます。
亡くなられた奥さんも、社っ長のこの考えを押し付けられて、神経を病んでしまわれましたし。
私の相方も団塊世代で社っ長と瓜二つの考え方の人ですし、しかも私の場合、公私共にダブルで見舞われてる訳ですから、奥さんの二の舞にならないようにくれぐれも気を付けなければなりませんね。┐(´-`)┌


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